私たちのやよい会は新しい登校拒否・ひきこもり観の創造を目指しています。私たちは、子どもたちと一緒に「生きる意味」を考える市民連合です。

「学校へ行きたい」のに「体が動かない」という現象はどうして起こるのか。すべての子どもたちはその不可解さに苦しみます。すなわち、「朝、起きられない」「頭が痛い、お腹が痛い、下痢が始まる」等々の身体症状はどうして現れるのか。それは普通、子どもたちの命の自己防衛反応と考えますが、この現代の日本文化に対する拒絶反応を正確に説明する思想を私たちはまだ見つけていません。

「カナリヤの警鐘」と俗に言われるものですが、私たちは、親も教師も、精神科医もカウンセラーも、政治家も行政機関も、この「カナリヤの警鐘」をどう受け止めて自分たちの生き方を変え、どう行動を起こしていったらいいかということについて全く理解がなされていません。それを探求しようとする情熱も真摯な知性もありません。

そこに登校拒否・ひきこもり百万人という日本に特有の悲劇が起きる素因があるわけです。これは、現代の日本の文化的状況の子ども・若者に対する虐待にほかなりません。この悲劇を解消すべく、私たちは、子どもの苦しみ・試行錯誤に学び、子どもたちと一緒に新しい文化を人類史に呼び込むべく立ち上がりました。

私たちは、共感される多くの方々の賛同を期待します。かつて、平安時代に日本の農民が藤原氏に抗して、日本に固有の文化を守るべく、武士となって立ち上がったように、現代の子ども・若者が現代の反人間的文化に抗して、武士道ならぬ「拒否道」を一千年かけてでも構築することを夢見るものであります。

かつて万葉集では、「さもらふ」は様子を見るという意味でした。日本の農民は藤原氏の政治体制に参加するかどうか最初迷っていたが、とりあえず「お仕え」しようということになった。そこで「さもらふ」の意味は、「様子を見る」から「お仕えする」に変化した。そして「さもらふ」は、さもらひ⇒さぶらひ⇒さむらい⇒侍と変遷していった。

この意味の変遷の中に、日本の農民=原日本人がお仕えするという屈辱から徐々に主体性を回復して、自分たちの時代を築いていく苦難の歴史が隠されている。そして一千年後、徳川の世に悪戦苦闘の末に、自分たちの日本古来の文化を一応花開かせる。

今、日本のひきこもる子ども・若者たちは、「甘えだ・怠けだ・病気だ」と叩かれながらも様子を見ている。しかしいつの日か、侍たちが雄々しく立ち上がったように、彼らが、ますます反人間的になっていく現代文化に抗して立ち上がり、「侍ジャパン」ならぬ「拒否ジャパン」を構築してくれることを祈って、私たちは活動するものであります。